2018/06/30

Thai NavySealは遂に攻撃を決心

水が引くのを待っていたThai NavySealの潜水隊員は洞窟内の3番目の空間に到着して、次は13人がいると思われるハートサーイまで約1kmまで近づくことが出来たようで、後は水が引くのを待つのではなく攻撃態勢に入り目的地まで突撃するようである。


Thai NavySealは遂に攻撃を決心

洞窟のお供え物を食べに来る野ブタ

洞窟の前に置かれたお供えを食べに来る子供の野ブタを見てピー精霊を信じるタイの人たちは
吉兆を感じ取り今日中には見つかるということである。また13人が所属するサッカーチームの名前は
ムーパーすなわち野ブタである。


洞窟のお供え物を食べに来る野ブタ

洞窟に到着する大型ポンプ

ナコンパトムから陸路運んでくる大型ポンプがやっと洞窟に着くようである。何故、軍の輸送機を使いチェンラーイ空港に降ろさないのか不思議である。23日に13人は閉じ込められて1週間が立つのに救助が遅すぎる。



洞窟では県知事の指揮下に総員訓練

洞窟があるチェンラーイの最低気温23で降水率20-30%である。しかし洞窟は山の中にあるので最低気温は何度か下がり降水率も増えると思う。昨夜は雨が降らなかったせいかポンプでの排水の効果があり水位は8cm下がったようである。排水をしているのは本来の入り口に加えて新しく横穴を開けた4ヶ所を含めて5ヶ所からの排水をしているようで、使っているポンプは100台という情報があるがはっきりしていない。

またこの洞窟があるメーサーイ郡から来た青年によると小さい頃に洞窟から出られなくなって雨水が入ってきたが、水を避けるために小さい穴に入ると洞窟の外に通じていて助かったことがあるということで、救助隊もこのような抜け口を探しているようである。

救助現場の総指揮をとっているのはチェンラーイの知事であるが、今日は早朝から救助できたときのためにヘリコプターを使ってどのように13人を運ぶのかの訓練をするようである。


洞窟では県知事の指揮下に総員訓練

2018/06/29

タイの洞窟 水源を探せ!

ダムロン・ピデート元国立公園局長は洞窟に流れ込んでくる水の源があるはずで、それを見つけた人には10万バーツの賞金を出すということである。元国立公園局長の経験からか洞窟の水を減らすことが一番大事なことであることを分かっているようである。
洞窟内の入り口を入ったところにある空間では各部署の救助隊員が集まるところがあり大きい照明が立っている。これらの照明か電気設備を誰かがショートさせたようで電気が全て止まりポンプを止めるという考えられないような失敗をやっている。ある責任者は1秒でも無駄にすることは13人の命に関わることだと言っているにもかかわらず、また水が多い中で電気配線が増えるとショートの可能性があり用心が必要だということが分からなかったのかと思う。
また視察に訪れた警察庁副長官は洞窟の横に穴を開けて水を排水するようにという救助隊に国立公園の法律に触れると言って非難を浴びている。この警察官は何のために来たのか分からないが、同じような人たちが救助を手伝うのではなく妨害しているのは事実のようである。



君たちが帰ってくるのを待っています

#ムーパーチームを村に連れて帰って


タイ全国で無事を祈っている

タイ北部チェンラーイにある国立公園内のルアン洞窟に閉じ込められ救出作業が続く13人は歩いて洞窟の奥に入っていき不幸にも大雨がふり出られなくなった訳であるが、地図を見れば分かるが救助を阻んでいるのは雨水以外の何物でもない。2日前のニュースでは18台のポンプとバンコクから持ってきた4台のポンプで排水をしているようであるが、引き続きふる雨のせいで排水が追いつかなく軍の潜水隊員は水を潜って彼らがいる奥へ進むのを中断して待機中であるということである。

今日のニュースでは洞窟の横の壁に穴を開けて排水口を増やしたようである。また彼らがいるであろう洞窟の上にある割れ目を広げて上からの救助も考えられているようである。しかし水がないときに入っていった13人は水さえなくなれば歩いて出てこられるわけで、もっとポンプを増やし排水をすべきではないだろうか。


タイ全国で無事を祈っている

2018/06/28

タイの洞窟に閉じ込められた13人の救出

23日に12人の少年とサッカーコーチは練習の後に近くのルアン洞窟に入り探検をしていたが大雨が振り退路が塞がれ洞窟内に閉じ込められて6日目に入った本日、一人の少年の帽子が流れ着き少年たちの安否が気遣われている。11才から16才までの少年たちはサッカーチームのスポーツ少年なので体力があるとともに洞窟には何度も遊びに行っていたようで慣れているということであるが、引き続く雨のために洞窟内の水位は上がり排水作業も追いつかない状態であるという。軍の潜水隊員が水を潜り彼らがいるであろう地点に行こうとしているのであるが、水の勢いは泥となり行方を塞いでいるようである。

潜水でたどり着くのが難しい状況では上からということで洞窟の割れ目を探しドリルで穴を開け彼らがいるであろうという地点にたどり着く作戦を始めるようである。この6日間の間タイではこのニュースで溢れすべてのタイの人々が彼らの無事を祈っているようである。


タイの洞窟に閉じ込められた13人の救出

2018/06/25

タイの失業率

タイの5月の大学卒業生の失業者数が17万人になり労働省は教育省、タイ産業連盟。タイ商工会議所。民間企業と失業者解消のための会議を持つということであるが、Trading Economics , Index mundi.comのデーターではタイは失業者数が少ない国の4番目であるということである。
では労働省ではどのように求職の応援をしているかは次のとおりである。

1,タイ人のための職業斡旋サービスセンター (Smart Job Center)
2,バンコク職業紹介事務所1-10
3,各県職業紹介事務所
4,移動式職業紹介センター (Mobile Unit)
これ以外にインターネット上での職業紹介センター www.doe.go.th/smartjob Smart job Center Application By Smartphoneがある。

そして主な国の人口と失業率は次のとおりである。
国名     人口    失業率
タイ       66,200,000       1.2%
フランス         67,200,000       9.2%
イギリス         65,650,000       4.2%
アメリカ        325,000,000       3.9%
中国       1,385,260,000       3.89%
日本          126,672,000       2.5%
マレーシア       32,200,000      3.3%
シンガポール      5,600,000      2.0%

タイの失業率


2018/06/07

バンコクについて サヤームスクウェアー昔話(続)

チュラーロンコーン大学とラーマ1世通りの間は野菜畑とスラムがありラーマ1世通りを隔てたサヤームパラゴンのあたりはグアバを作る果樹園だった。チュラーロンコーン大学から商業施設を作るように頼まれたSouth East Asia Construction Co., Ltd.のゴープチャイは、商業施設に人を集めるために当時の最大の娯楽施設である映画館を作ることにして、Apexグループのピシット・タンサッジャーに依頼した。ラーチャダムナーンクラーンにあったサーラーチャロームタイ劇場を改造して1500席がある映画館を作って成功したピシットは1966年にラーマ1世通りに面したサヤームスクウェアー内に800席ある映画館サヤームを作った。当初は映画館チュラーという名前を考えていたようであるが国王と大学の名前を映画館につけるのは良くないとの意見でサヤームした。また映画館サヤームの成功を受けて2年後の1968年には同じくラーマ1世通りに面した場所に1000席ある映画館リドーを作った。そして今も残る映画館スカラーはラーマ1世通りを少しだけ入ったところに1000席の映画館として1969年に作られた。そして4年後の1973年にはラーマ1世通りを隔てたところにサヤームセンターという大ショッピングモールができこの辺りの土台ができたことになる。

当時の映画館の入場券は10,15,20バーツでエアコンが効いた館内で一時が過ごせたということだがApexグループは映画の選択を入念に検討していて映画を見た後に感動が残る映画を提供していたので人気があったということである。またその時代はまだ何もない頃で従業員は昼飯にプラトゥナームへ行くかサームヤーンに行ったようであるが、バスも少ない頃で昼飯時間に間に合わないので映画館側は弁当にしたということである。


バンコクについて サヤームスクウェアー昔話(続)

2018/06/06

タイ南部の洞窟で絵を発見

クラビー県アーオルックで発見された岩絵は3,000-5,000年前のもので今のところ発見されたのは300mの崖の範囲にある8ヶ所でサルの絵が7、籐の垂れ下がり、人、ゾウ、幾何学など30である。クラビーはもともと石灰岩の絶壁が多いところでこれまでにも岩絵が見つかったことがあるのは、ピーフアトー洞窟、バイキング洞窟で岩絵の量では今回のが3番めであるが、保存状態もよく調査は途中なのでもっと増えるかも知れないということである。この他にも子供を引き連れている絵、エビなどの水生動物、船の絵などがあり、その頃の生活を描いたものが多くこの辺りには集落があったかモンスーンの避難場所であったのではということである。またゾウの絵は素晴らしくこの時代にゾウが近くにいたので描いたのだろうが大変興味深い。

3,000-5,000年前というと石器時代で東北部のバーンチエン遺跡では2,000年前には初期の青銅器文化が始まっていたようで、同じく東北部のウドンタニーでは6,000年前の岩絵が見つかり、ウボンラーチャターニーでも1,000年前の岩絵が見つかっている。


タイ南部の洞窟で絵を発見

2018/06/05

タイの選挙について 23 民主党の未来

2560年憲法をどうするのかということが選挙の争点になってきている。新未来党の宣言で始まりプアタイ党、チャートタイパッタナー党、プラチャーチャート党も選挙での争点にするようで政権党になるとさっそく2560年憲法に代わる憲法を民主的手続きで作成するのか国民投票にかけるようである。プアタイ党に続く民主党が2560年憲法をどのように考えているのかは、新未来党が2560年憲法の改正を宣言したときの民主党のマリカー元副広報の発言にはっきりと現れている。

マリカー元副広報の発言はまず国民投票という民主的な方法で成立した憲法をどうして改正するのかと批判しているが、それは2560年憲法の成り立ちが決して民主的でなかったことは小学生でも分かっていると思う。2560年憲法草案起草委員会はミーチャイ委員長はじめ36名の委員は国家改革議会、立法議会、内閣、コーソーチョー(国家平和秩序評議会)による任命であって、もちろんこの憲法を通した立法議会も任命で全てにおいて国民が選んだ憲法ではなく最後だけが国民投票という民主的なことをやっただけである。また2560年憲法の54条と258条は教育の均等化を推進するいい所もある憲法だと言うがはっきりと言って焦点がずれている。

これまではバンコクと南部が基盤の民主党であったわけであるが、南部ではスラータニー出身のステープ元議員が違う党を立ち上げいなくなり南部で残って民主党の看板になっているのはトラン出身のチュアン元議員だけで心細いところであるが、バンコクの支持層である中間層もこの選挙がなかった数年で変わってきているだろう。まずはこの数年間、南部のゴム価格の問題を含めて何もできなかったまたはやらなかった民主党に対する期待感ははっきり言ってなくなっているだろう。


タイの選挙について 23 民主党の未来

2018/06/04

バンコクについて サヤームスクウェアー昔話

チュラーロンコーン大学の北側にあった土地52ライ(1ライ=1,600平方メートル)は野菜畑とスラムであったが大学は有効に使うために商業施設を建てることにした。建設を請け負ったSouth East Asia Construction Co., Ltd.のゴープチャイは3-4階建ての長屋を700作り、この場所の区名を取りパトゥムワンスクウェアーと名付けたが区名では小さいと思ったのか後にはタイの以前の名前をとってきてサヤームスクウェアーとした。その頃ラーマ1世通りを隔てた場所にはバンコクインターナショナルコンチネンタル・ホテルの建設が始まっていたがサヤームスクウェアーという繁華街の名前を取ってきてサヤームインターナショナルコンチネンタル・ホテルに変えた。広い敷地があるホテルだったが今はサヤームパラゴンというショッピングモールに取って代わられた。

サヤームスクウェアーが昔も今も若者たちの街であることにはもちろん異論はない。隣にチュラーロンコーン大学があり昔は本屋、音楽カセット、Tシャツを売る店がいくつもあり歩いているだけで楽しくなる街であったが、それ以外にもボーリング場とアイスアリーナがあった。ボーリング場はノボテル・ホテルになりアイスアリーナは映画館になった。その中でも若者たちをひきつけたのは3つの映画館があったことだろう。サヤームはタイ映画でリドーとスカーラーは洋画であった。タイの人たちのかなり広い世代でこれらの映画館を懐かしく思う人は多いだろう。しかし存在するものはいずれは消えていくようでサヤームは火事でなくなり、リドーはチュラーロンコーン大学との賃貸契約が更新できずになくなってしまいとスカーラーは宙吊り状態である。

バンコクにおいては運河がなくなり街路樹がなくなり星が見えなくなり日の出日没も消えてしまい、最近は規制が厳しくなり屋台もなくなり始めているようである。残るのはコンドー、BTS、道路、自動車、忙しく微笑みを忘れた人たちだけになっていくようである。



2018/06/03

タイでキングコブラを勉強する外国人たち

タイ東北部のナコンラチャシーマーにあるスラナリー工科大学生物学部には自国において学士または修士課程を終えて修士または博士課程を勉強に来る外国人が増えているようで、特にキングコブラとコブラの研究が人気があるということである。現在、修士課程でキングコブラとコブラを研究しているのは、イギリス、アメリカ、ポルトガル、オランダからの5人で博士課程がアメリカからの2人ということである。
熱帯地域に生息するコブラやキングコブラを研究できるのは世界でもスラナリー工科大学生物学部だけで研究奨学金制度、実際の場所、本当のヘビがいるのはここだけということで、学生は大学から30分ほど離れたところにあるサゲーラート環境研究所において、実際に生息しているキングコブラとコブラを研究している。この学部で勉強するタイ人が一人もいないのはコブラを勉強して何になるのかという考えがあるようで、一方で外国人学生すべてがヘビが好きで勉強をするにはここしかないということである。

サゲーラート環境研究所において学生たちは自然環境の中で本当のコブラとキングコブラを捕まえて発振器を付けヘビがどのように行動するのか追跡してヘビの生態を研究している。当初、近所の村人からは何をしているのか他にやることがないのかと不思議がられヘビを村に放しているのではないかと怪しまれたが、最近は少しずつ理解されるようになり家に入ってきたヘビの捕獲を頼まれたりもしている。


タイでキングコブラを勉強する外国人たち

2018/06/02

タイにおいての人とオオトカゲの共存について

バンコクのコンドミニアムの乱立により運河と沼の減少でオオトカゲの生息場所が狭まれてきた結果、2016年には市民の憩いの場であるルムピニー公園でオオトカゲが増えてきて自転車を乗る人、散歩をする人はバンコク市庁に訴えオオトカゲの半数近くがラーチャブリー県にあるカオソン野生動物飼育場に移転ということになった。オオトカゲは陸水動物で陸上で卵を生むので水がある運河や沼などから200-300m以内に生息するということである。

そしてこの数ヶ月はバンコクの南にあるサムットサーコン周辺の養魚場でオオトカゲが魚を食べて困るという苦情が出てきてオオトカゲはまた人々の注目を集めるようになった。専門家の意見ではどれだけの数のオオトカゲがいてどれだけの数の魚が食べられているのかという統計もなしにオオトカゲを捕獲して移転させるというのは、オオトカゲはネズミやヘビを食べるので生態系を考えると無茶な措置であるということである。また専門家の意見ではバンコクのルムピニー公園で市民がどのような被害にあったのか調査をすべきということである。普通はオオトカゲは人を恐れて逃げていくのでただ大きいというだけで恐怖を感じたので駆除してくれではバンコクにおいてはすべての動物がいなくなってしまい極端に言えば家の中で蚊などを食べるヤモリも恐ろしいので駆除するようにとの要請が来ればどうするのかということである。ルムピニー公園のオオトカゲについて言えば半数近くを移転させたにもかかわらず2年もたち近くからオオトカゲが引っ越しをしてきて元通りの賑わいになっているということである。またオオトカゲは殺戮、捕獲、飼育ができない野生動物保護法に入っている種であるが、飼育はできるということにしてワニのように養殖すればどうかという意見もあるようである。


タイにおいての人とオオトカゲの共存について

2018/06/01

タイの選挙について 22 選挙日について(続)

最終の選挙についてのロードマップでは2019年2月となっているが、それも情勢次第でどうなるかはっきりとはしていないと思っていたが、憲法関連法案 ソーウォー(上院議員)が憲法裁判所により違憲ではないという判決があり、5月30日には憲法関連法案 ソーソー(下院議員)も違憲ではないという裁決がでたので関連法案はすべてが出来上がり次のような工程で選挙になるということである。

2018.5.30 憲法裁判所が憲法関連法案 ソーソー(下院議員)を合憲とすると次のように展開していく。
2018.6月-8月 憲法関連法案 ソーウォー(上院議員)と憲法関連法案 ソーソー(下院議員)を奏上して官報に掲載されるのに90日間かかる。
2018.9月-11月 憲法関連法案 ソーソー(下院議員)が官報に掲載されてから有効になるには90日間かかる。
2018.12月ー2019.4月 下院議会選挙はこの間の150日間以内にある。

この150日間以内という規約についていろいろな意見があり政府内では選挙はロードマップとおりの2月と2ヶ月遅れてしまう4月とに分かれているようである。この6月末には政府は政党と意見を交わし政党活動の再開をできるのがいつからになるのか決めるのだろう。これ以外に選挙遂行で問題になるかも知れないのは2560年憲法だろう。新党・新未来党は先ごろ開いた集会にて2560年憲法の全ての改正を訴えてプアタイ党、チャートタイパッタナー党、プラチャーチャート党も賛同し始めているようで、権力の継続をこの憲法に頼っているコーソーチョー(国家平和秩序評議会)としてはやはり選挙はすべきではないという考えも出始めているのかも知れない。


タイの選挙について 22 選挙日について(続)