2018/06/04

バンコクについて サヤームスクウェアー昔話

チュラーロンコーン大学の北側にあった土地52ライ(1ライ=1,600平方メートル)は野菜畑とスラムであったが大学は有効に使うために商業施設を建てることにした。建設を請け負ったSouth East Asia Construction Co., Ltd.のゴープチャイは3-4階建ての長屋を700作り、この場所の区名を取りパトゥムワンスクウェアーと名付けたが区名では小さいと思ったのか後にはタイの以前の名前をとってきてサヤームスクウェアーとした。その頃ラーマ1世通りを隔てた場所にはバンコクインターナショナルコンチネンタル・ホテルの建設が始まっていたがサヤームスクウェアーという繁華街の名前を取ってきてサヤームインターナショナルコンチネンタル・ホテルに変えた。広い敷地があるホテルだったが今はサヤームパラゴンというショッピングモールに取って代わられた。

サヤームスクウェアーが昔も今も若者たちの街であることにはもちろん異論はない。隣にチュラーロンコーン大学があり昔は本屋、音楽カセット、Tシャツを売る店がいくつもあり歩いているだけで楽しくなる街であったが、それ以外にもボーリング場とアイスアリーナがあった。ボーリング場はノボテル・ホテルになりアイスアリーナは映画館になった。その中でも若者たちをひきつけたのは3つの映画館があったことだろう。サヤームはタイ映画でリドーとスカーラーは洋画であった。タイの人たちのかなり広い世代でこれらの映画館を懐かしく思う人は多いだろう。しかし存在するものはいずれは消えていくようでサヤームは火事でなくなり、リドーはチュラーロンコーン大学との賃貸契約が更新できずになくなってしまいとスカーラーは宙吊り状態である。

バンコクにおいては運河がなくなり街路樹がなくなり星が見えなくなり日の出日没も消えてしまい、最近は規制が厳しくなり屋台もなくなり始めているようである。残るのはコンドー、BTS、道路、自動車、忙しく微笑みを忘れた人たちだけになっていくようである。