2018/06/07

バンコクについて サヤームスクウェアー昔話(続)

チュラーロンコーン大学とラーマ1世通りの間は野菜畑とスラムがありラーマ1世通りを隔てたサヤームパラゴンのあたりはグアバを作る果樹園だった。チュラーロンコーン大学から商業施設を作るように頼まれたSouth East Asia Construction Co., Ltd.のゴープチャイは、商業施設に人を集めるために当時の最大の娯楽施設である映画館を作ることにして、Apexグループのピシット・タンサッジャーに依頼した。ラーチャダムナーンクラーンにあったサーラーチャロームタイ劇場を改造して1500席がある映画館を作って成功したピシットは1966年にラーマ1世通りに面したサヤームスクウェアー内に800席ある映画館サヤームを作った。当初は映画館チュラーという名前を考えていたようであるが国王と大学の名前を映画館につけるのは良くないとの意見でサヤームした。また映画館サヤームの成功を受けて2年後の1968年には同じくラーマ1世通りに面した場所に1000席ある映画館リドーを作った。そして今も残る映画館スカラーはラーマ1世通りを少しだけ入ったところに1000席の映画館として1969年に作られた。そして4年後の1973年にはラーマ1世通りを隔てたところにサヤームセンターという大ショッピングモールができこの辺りの土台ができたことになる。

当時の映画館の入場券は10,15,20バーツでエアコンが効いた館内で一時が過ごせたということだがApexグループは映画の選択を入念に検討していて映画を見た後に感動が残る映画を提供していたので人気があったということである。またその時代はまだ何もない頃で従業員は昼飯にプラトゥナームへ行くかサームヤーンに行ったようであるが、バスも少ない頃で昼飯時間に間に合わないので映画館側は弁当にしたということである。


バンコクについて サヤームスクウェアー昔話(続)