【引用】
周ー羌がもと近縁の部族であったごとく、殷ー夷はもと縁続きの部族であったと考えられる。そして周代以降、羌人がしだいに西方に追いやられてチベット人の源流となったように、華中や華南では、この夷人がしだいに南方に追われて、今日のタイ人の起源になったのである。
そして黄河・長江を軸とする東亜の大部分は、これら諸族の同化混血によって生まれた文化民族、俗に「漢人」と呼ばれる優秀な大人種によって占有されることになったのである。
紀元前700年ころの春秋時代にあった越と楚は古代タイ族の国で黄河流域の中華(文明)民族が広がっていくことにより同化混血しないタイ族は流れ流れてタイまで来た。中国語とタイ語は大変似通た言語であるが大きな違いとして修飾語の前後が違うということである。中国語では泰国であるがタイ語ではประเทศไทย Prathet Thaiというように修飾語が後に来る。しかし殷のころには王の名前を帝乙・帝辛と言ったようにタイ語を同じ前後関係だったようで古代ではタイ語と中国語が混ざっている言葉が使われていたということである。