2018/05/27

バンコクについて チャオプラヤー川の移り変わり

ビルマの占領からタイを取り戻したタークシン王は荒廃したアユタヤから首都をトンブリーに移した。このことはタイの歴史を勉強したことがある人は知っていると思う。しかし不思議に思うのはどうしてバンコクだけが、タイの中での重要な都市になっているのか、何故にバンコクだけが異常な発展をして住みにくくなっているのに未だに発展していくのか。何故にバンコクを押さえればタイ全国を掌握できるのか。バンコクに公共と民間の重要な施設があるからか、それともバンコクに住むタイのエリートたちのおかげなのか考えてみたいと思う。

タークシン王はバーンコークヤイ運河とつながるチャオプラヤー川沿いのトンブリーに首都を作ったわけであるが、それまでのアユタヤ時代にはバーンコークと呼ばれていた地域である。アユタヤ時代の1522年以前はチャオプラヤー川は西に大きくくねる川であったが、1522年に地図のように短縮する水路ができて、こちらがチャオプラヤー川の本流となり以前の大きくくねった部分がバーンコークヤイ運河とバーンコークノーイ運河になったわけである。このバーンコークには何本もの運河があり、その1本の運河には両岸にマコークという実がたくさんできていたのでバーンマコークと呼ばれていたのが西洋人がバンコクと呼び出した始めということである。

バンコク周辺で大きくくねる部分を短縮したその他の地域は次の右図のとおりである。
バーンコーク短縮運河 1522年 プラチャイヤラーチャーティラート王
バーングルアイ短縮運河 1538年 プラマハージャクラパット王
ノンタブリー短縮運河 1596年 プラジャオプラサートトーン王
すべてがアユタヤ時代でアユタヤが貿易国であったことを考えると船の走行の便宜を考えた結果だったと思う。 


バンコクについて チャオプラヤー川の移り変わり