2018/05/16

タイの選挙について 18 ゴーポーポーソーについて

タイでの選挙がない空白期間すなわち選挙が民主主義の基本とするなら民主主義がない期間とするのが正しいかも知れないが、この選挙がない空白期間は2014年の成立しなかった選挙から考えると5年ということになる。この5年の空白期間を作った出来事と主役であるゴーポーポーソーについてまとめておく。
ゴーポーポーソーは国王を元首とする完全民主主義達成タイ国変革国民委員会という長い名前のグループのタイ語の短縮で当初は9人の民主党議員が中心となり始めたが途中で民主党を離党する。
バンコクの何か所かに舞台を設け音楽と演説で政府攻撃をした日数は204日で費やした費用は14億バーツということであるが、いったい14億バーツのお金を発足者であるたかが9人の民主党議員に調達できたのか疑問である。

2013年6月 民主党本部近くのサームセーン駅でゴーポーポーソーの政府の恩赦法草案反対の集会が始まる。
2013年8月 民主党党首アピシットは民主党議員を引き連れてゴーポーポーソーの国会までのデモに参加。
2013年12月 バンコクの混乱を国民に問うという名目で下院解散
2014年1月 ゴーポーポーソーは首都のシャットダウン
2014年2月 下院選挙しかしゴーポーポーソーの妨害により375選挙区のうちバンコクと南部の69選挙区で選挙ができずに憲法裁判所による選挙無効の判決が出る。
2014年5月22日 タイでの13回目のクーデター

204日間の抗議活動で政府を潰すことにより恩赦法を廃案にするという目的は達したわけであるが、
刑事事件ー反乱罪を含む9件の起訴
民事事件ー選挙妨害の被害31億バーツの損害賠償
上記の裁判が続いているわけである。具体的にでてきているのはこれだけであるが選挙のない5年間の空白期間をどのように埋めるのかゴーポーポーソー運動に参加したバンコクの人たちはわからないだろう。そして2014年の選挙を不成立にしてその後5年間の空白を作ったことは少なくとも合計で3回の選挙を潰したことで、国民が代表者を選ぶ権利を奪ったことになる。またこのグループ自身が選挙で選ばれた首相を認めていなかったことを考えると、次回の選挙に向けてムアンマハープラチャーチョン党を立ち上げたのは不思議な事である。


タイの選挙について 18 ゴーポーポーソーについて